クラッとくる現在完了

2016年04月30日

3年生現在完了も一応のまとめが終了。
現在完了。多言語における認識の差異が表面化する興味深い問題を含む単元です。
と言っても大げさすぎますので、ちょっとだけ。

現在完了を日本語に訳す場合、意味上「完了・結果」「継続」「経験」の三つの範囲に分類されるのが普通です。
ここで次の例を考えてみましょう。

1.I’ve often visited Tom’s house.
2.I’ve played tennis once.

1.2.はいずれも「経験」に分類される現在完了の文ですが、それぞれ、

1.トムの家をよく訪問したことがある。
2.テニスを1度したことがある。

と訳すよう教わります。(僕も教えています。)しかしこの日本語だけをよ~く考えると、1.2とも過去にした経験はあるが現在は何らかの理由で、トムとはけんかして、テニスは全く楽しくなくて現在その行為は断絶してしまっているというニュアンスを言外に含んでいるように思えないでしょうか。

現在完了は過去と現在の時間的連続を意味することが肝ですから、その意味を含めて1.2をそれぞれ、

1.トムの家をよく訪問している。
2.テニスを1度している。

としてみましょう。テストでこれをやるとおそらくどちらも×になってしまうと思います。なぜなら、
1.の訳は現在の事実をいう表現と重なり、I often visit Tom’s house.という現在形で英語では表現すべきでしょうし、2.は過去に1度テニスをするという動作をした、という表現と重なり、I played tennis once.と過去形で表現すべきでしょう。

あれれ?なんか頭のなかがグルグルになってきたぞ。生徒がグルグルになるのはかまいませんが、教える側がグルグルの状態では危険です。

大体、
I’ve just finished my work.「仕事をちょうど終えたところだ」も日本語「終えたところだ」は今直近の過去の事実として「終わった」という認識で、「仕事が今終わったのだが、それは過去からずっとやってきたことだ」という本来の現在完了的意識は薄いと思います。

このような訳の上での一種の「ズレ」は、私達日本人が、自分の経験や動作の完了を過去から現在への時間的、因果的連続というカテゴリーで強く意識していないということを意味します。
そして、この意識の違いは、日本語の中に、現在の行為は時間的連続の中で過去と因果関係を持つ、という概念を端的に表す「言葉」がないからなのです。

我々が母語とする何らかの言語が、我々の経験、世界の感じ方そのものを構造化する。

先にのべたような異なる言語間に生じる齟齬も、この「認識の構造」のズレに他なりません。
そしてこういう問題を考えているうちに「クラッ」とくるのは、言語によって作られた構造がホンの少し「クラッ」と揺れるからかも知れません。この「クラッ」という感覚が僕は好きです。

やっぱりわけわかりませんな。
でもいつか授業でこういうことについて中学生にもわかりやすく話せる日が来ればいいな、と思うのです。

さてゴールデンウィーク。

明ければ中間対策。

ガチです。覚悟して休暇を楽しんでください。